設立45年目を迎えて

当研究所は高品位な居住環境の設計を求め続けて、今年で45年になりました。
建築設計を主たる業務にしているのに、なぜ西原研究所というような変わった名前をつけたのか、とよく聞かれますが、
それほど深い意味があったわけではありません。
高品位な居住環境の設計という基本ポリシーが先にあり、それを表す社名として、 まず
Nishihara Planning Systems Inc.
という英文名称が考えられましたが、その日本語として適当な言葉が見つからなかったにすぎません。

また、今年で45年目を迎えることになりましたが、この45という数字にも特に意味はありません。21世紀を考えるのに、2001という数字に意味がないのと同様に、今年が、たまたま45年目だったからです。しかし、社名と経歴。この二つの事柄がいま当研究所においては、大きな意味を持ちはじめています。この時期に世代交代をおこない、大きく変わろうとしているからです。

従来から、建築設計事務所は、一代限りのものだというジンクスがありました。しかしそれは建築の設計事務所が、主として創設者のデザイン的な個性によって成立してきたからです。 デザイン的な個性は、その人に特有なものですから継承しにくいものです。 したがって、建築設計事務所は、その個性の喪失と共に終わるのだと考えられてきたのだと思います。しかし、当研究所の設立動機は、創設者のデザイン的な個性ではなく、デザイン・ポリシーという思考形態、あるいはノウハウでありますから伝承が可能になるわけです。

では、高品位な居住環境の設計とはなにかということになりますが、それに対する基本的な考え方は、 創設者の著書、空間のシステムデザインという本に詳しく述べられています。あえて要約すれば、建築や都市は空間のデザインから発想するのではなく、総合的な性能の良さを求めるところから発想すべきである、ということです。デザイン的美しさとはその結果として与えられるもの。初めから追い求めるものではない、ともいえます。もっと具体的に云えば、ヨーロッパに同じようなポリシーによって設立された組織があります。 ポルシェ・デザインやイタルデザインなどです。共に自動車のデザインからスタートしていますが、いまではプロダクト・デザイン全般に及んでいます。それを、インテリアや建築や造園などの居住環境全般にまで広げたのが当研究所だともいえます。しかし、建築は単なる機械や装置とも違います。人々の生活のよりどころとなり、時に人々に感動を与え、生きる勇気を呼び起こすこともあるからです。

以上のような主旨から、当研究所はこれまでに、多様な領域のデザインをてがけてきました。 住宅やインテリアデザインから、住宅都市整備公団の住宅団地など、再開発や東京臨海副都心のアーバンデザインから、400haにおよぶ、国営ひたち海浜公園に至るまで、多様な領域にまたがっておりますが、朝倉小学校の設計では、日本建築学会の東北建築賞を受賞しました。 また、バブル経済直前の一時期には、ミニ・シンクタンクとしての機能も果たし、その一部は総合研究開発機構(NIRA)の年次報告にも紹介されたりしてきましたが、 最近では特に、民間による低層住宅団地の開発にも力を入れ、新しい居住環境の創出をめざしています。

いま、この研究所のDNAは次の世代に受け継がれようとしています。創設者である、西原清之は丹下健三先生に師事してきました。丹下さんは前川さんに、そして前川さんはル・コルビジェに学んでます。そうすると、いまの代表者である太細通は、ル・コルビジェから数えて4代目の直系の弟子に当たります。また、西原は A・レーモンドの弟子でもありますから、 太細はフランク・ロイド・ライトから3代目のDNAを受け継いでいることにもなります。したがって、このいわばモダニズムの正統派とも云うべきDNAは、その時々によって変わる時代の状況の変化に順応しながら、何時までも生き続けることが出来るのだと考えています。

株式会社 西原研究所

ページ先頭へ